般若心経の訳と読み方
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般若心経の訳と読み方

般若心経は、神様、仏様、どちらに対しても奉納することができます。
また、般若心経は、多くの宗派で唱えられています。
 般若心経は、覚えようとして覚えるよりも、何回も何回も唱えているうちに、自然と頭が262文字を
そして身体が、リズムを覚えてくれているという不思議な経文です。
 私は、もともと山岳行者で、般若心経を長く長く、たくさんずっと、唱え続けて来ました。
2007年に、高野山真言宗の僧侶になってからは、なおさらです。なのに私には、その般若心経の意味がよく解っていませんでした。 「一心に唱えていれば、自然と意味が解ってくるものになる」
と、人に言われたこともあったのですが、唱えても、唱えても、また多くの「般若心経」を訳した本を読んでも、自分で意味を掴み取ることができないでいました。
 それでも、水行、霊山行、四国遍路、供養・・・多くの場面で般若心経を上げ続けます。
 私が、般若心経を唱え始めてから、14年後、ようやく意味を訳して本にする機会に恵まれました。
多くの方々が、専門分野で般若心経を訳され本にされていますが、私にできる専門分野は何かと考えた時、「行」と「取材」という答えが見つかりました。
 そこで私は、自分の身体を通じて会得した般若心経の意味を理解してみたいと思ったのです。私自身がまず理解できることを、納得できるまで、解釈し、本にしてみました。
 その結果、私は、「般若心経」を通じて、「あなただからできる生き方がある」ということに気がついたのです。
「違う」ということは、時に、人によって差別や偏見の対象にされてしまいます。
そのため、いじめられたり、差別を受けたりして苦しんでいる人が多くいらっしゃいます。
けれども、「違う」ということは、本当は素敵なことなのです。違うことは個性です。
人それぞれ、違うからこそ、助け合えるようにできているのです。
もし、皆が一緒でしたら、助けたり、支えたり、補い合ったりすることができません。
個性で、人それぞれデコボコしているので、他の人がデコボコを合わせて、絆やご縁を作ったり、助け合うことができるのです。
ということは、あなたの長けている所も、長けていない所も、とても大切な存在ということになります。
 人と同じということに、とかく人は安心を感じやすく、時に無理をしてまで、人に合わせようとすることがあります。
でも、般若心経は違います。シンプルに訳してみましょう。


般若心経の訳と意味 その1


「あなたが、あなたでいることがステキなのです。
あなたの個性も、あの人の個性も、尊重します。
この世には、あなたにしかできないことがあるのです。
あなただからできる生き方が必ずあります。
それを見つけて、あなたの道を歩いて行きませんか?
それにはまず、あなた自身を見つめ、よくあなたを知ってください。
何かにしがみついていても、一生ものではありません。
あなたの心や体も変わって行きますし、この世に存在するもの全てが変わって行くのです。
ヒョイと、流れに乗って、その流れの上に浮かんで、澄んだ宇宙を見上げてみる・・・そういう気持ちで小さな一歩一歩をゆっくりと歩いて行きませんか?
あなたにできることを、あなただからできることをすることによって、歴史や人など、大切なことをあなたが繋げているのです。
だから、あなたは、とても大事な人なのです。
あなたの歩幅で、人と比べず一歩ずつ、ゆっくりと、あなたのペースで、歩いて行きましょう。」
短いですが、このような意味を般若心経は、教えてくれていると、私は解釈しています。
私たちは、生を受けて以来、楽しいこと、嬉しいこと、悲しいこと、辛いことなどに出逢っています。
壁にぶつかったり、行く道が判らず立ち止まってしまったりと、心が何かを必要としているとき、般若心経は、たったの262文字でもって、生きていくための知恵を与えてくださるのです。
生きていくことは、大変なことです。誰もが覚悟や選択をして、この世に誕生したのではありません。
気がついたら、生を受け、生かされていたのです。
でも人は、煩悩というものを誰もが与えられているので、思うようにいかなくなったとき、生きていくのが苦しくなってしまいます。
壁にぶつかり、立ち止まってしまったとき、暗いトンネルの中で動けなくなったとき、思わぬ発想でもって、このドロ沼から抜け出す正しい方法を教えてくれるのが、般若心経です。
人は独りでは生きていかれません。私たちが口にする食品だって、すべて自分だけで作ることはできません。
人は、人と助け合い、寄り添い合って生きていきますが、人に依存することができません。
だからこそ、心に支えが欲しいとき、この般若心経が、あなたに、より添ってくれるのではないでしょうか。


般若心経の訳と意味 その2

「くよくよ考えこんでばかりいないで、見方を変えて、とらわれの原因を勇気をもって外に放り出しましょう。
そうしたら、青く澄んだ空をあおぎながら、温かく深い海の上に体を浮かべている──そんな穏やかで美しく晴れ渡った心に戻れます。
それが、本来のあなたの姿なのです。背暗向明(はいあんこうみょう)。暗い方に背を向け、光の方を目指して自分の歩幅で歩いていきましょう。
こういった励ましを与えてくださる、おおらかで頼もしい般若心経と一緒に、これから先も一歩一歩歩んでいってください。
楽しい時は明るい般若心経、悲しいときは涙を呼ぶ般若心経、パワーが欲しいときは、元気な般若心経・・・そのときあなたが必要とする般若心経が口から出てくることでしょう。
読み方、唱え方よりも心です。一心に唱えて下さい。
 ところで、般若心経は、262文字の頭に、前文があります。
「お釈迦様が、霊鷲山の山頂で、観自在菩薩様や弟子に囲まれ、冥想に入りました。そのとき、一番最初に感応したのが、観自在菩薩様でした。
優秀な弟子である舎利子(シャーリプトラ)さんをはじめ、多くの弟子たちは、その冥想の中身を知りたがっています。
そこで観自在菩薩様が、今、冥想している「般若波羅蜜」について、舎利子さんに、お話することにしました」
というところから、二百六十二文字の般若心経が始まります。唱えて、書いて、感じて・・・あなたの般若心経です。
今、あなたが極楽にいると思えば、そこが極楽で、地獄にいると思えば、そこが地獄なのです。
壁にぶつかったり、行く道が判らず立ち止まってしまったりと、心が何かを必要としているとき、般若心経は、たったの二百六十二文字でもって、 生きていくための知恵を与えてくださるのです。


般若心経の意味 その1

: 心の中にある「仏様の種」に気づく
いじめられて苦しんで苦しんでいた子供の頃、逃げ込んだ空き地で、泣きながら空を見上げたら、空が私に笑いかけてくれていました。
私は、空に仏様がいらして、微笑んでくださっているんだと思いました。それが私と仏様との出逢いでした。
自分を見つめ、自分は弱いということに気づけたら、もう大丈夫です。それが、さとりへの一歩です。


般若心経の意味 その2

: 慈悲の心を持つ
エイズ患者だったジーナは、明日の命も知れないのに、私の娘が誕生したのを知って「おめでとう!こんな嬉しいことってないわ。
新しい生命が誕生するなんて、神様、本当にどうもありがとう」と、力いっぱい叫んで、何度も何度も「おめでとう」と喜んでくれたのです。
ジーナは命がけで、私に慈悲の心について教えてくれました。私が「ミニ駆け込み寺を作りたい」と、僧侶になれた出発点は、このジーナの慈悲の心にあったのではないかと思っています。


般若心経の意味 その3

: 自分だけの花を咲かせる
壁にぶつかったら、自分の心が何かに執着しすぎていないか、ちょっと自分を見つめてみませんか?四苦八苦の中には、「求不得苦」(ぐふとっく)といって、欲しいものが得られない苦しみがあります。
草花や木は、自分の咲きどきを知っています。人だけは知りません。執着から一歩下がって、自分を見つめ直してみませんか?心も体も、きっと楽になれることでしょう。


般若心経の意味 その4

: あなたは大切な人です。
私は、多くの霊山に登拝行をし続けています。山道は、多くの人が歩いて踏んで作られていくものです。
誰も歩かなくなったら、道は消えてしまいます。私一人くらいいなくても・・・でなく「私も歴史と道作りに参加してみよう」と、ポジティブに捉えることが大切だと思います。
長―い歴史の中で、私一人くらいいてもいなくても、でなく、歴史をつなげている大事な一歩であり、大切な命の一つであるということを自覚しましょう。
あなたも私も、この世に生を受けた以上、大切な人なのです。


般若心経の意味 その5

: 苦しみは自分の心の中にある「比べる」ということは、自分が心の中ですることです。
比べるから苦しみが生まれます。自分より不幸そうな人を見て、「よかった」と思う人は、自分より幸福そうな人を見て、「私は違う」と傷ついたり、妬んだりします。
 人と一緒でないほうが、楽ではありませんか?
 全力を尽くさないで、人と比べるのは、もうやめましょう。あなたの心が辛いだけです。/


般若心経の意味 その6

: 自分の心から苦しみを逃してやる
苦しい、憎たらしい、むかつく・・・これらのネガティブな感情は、自分だけが所有するものです。
自分の心の中から、その感情を逃してやれば、もう心は海の底にいるように沈んだりはしません。
 憎んでも、その憎しみを一生同じだけ維持していくことはできません。絶対に変わっていくものです。
どうせ変わっていくものならば、自分で今、変えてみませんか?

般若心経の意味 その7

: 天から自分を見下ろしてみる 会社など、小さな世界の中でも、認めてもらうもらえない、上司にかわいがられるかわいがられない
、一生懸命やっているのに理解してもらえない・・・など、価値観の違いから、現在、光の当たっている人と、まだ光を当ててもらえない人とがいます。
なかなか認めてもらえない人は、辛いですよね。
でも、会社の天井から、今の職場を見下ろすのでなく、空のもっと上、宇宙(天)から、その職場を見下ろしてみてください。
皆同じに見えて、大差はないのです。
狭い世界では、嘘やごまかしがばれなくても、天は、すべてお見通しです。
今の地道なままで、大丈夫なのです。


般若心経の意味 その8

: いいことすると心が喜んでくれる 誰もが、いいことをしたら、心が心地よがることも、よく知っています。
ところが人は、いけないと判っていながらも、悪いことにちょっと魅かれてしまいがちです。
悪いことの方が、ちょっとおもしろいし、ドキドキします。
でも、悪いことをしていると、心がちっとも晴れません。
悪いことをしている自分は、本当の自分ではないので、間に挟まれた心が苦しみます。
その苦しみを感じまいと無視してみたり、平気なフリをしてみたりするのですが、いつまでも、それを続けることはできません。
でも、悪は、世の中に不必要なものではありません。
悪があるからこそ、いいこと、いいもの、正しいことが判るのです。


般若心経の意味 その9

: 自分の足で小さな世界から抜け出す
いつまでも、苦しみは続きません。いつまでも、いいことも続きません。
私だけが、苦しみ、もがいて、部屋で取り残されて泣いていても、夜が来て、また美しい陽は昇ります。
太陽が昇らない日はなく、それは人類が地球に存在するよりももっと前から続いているのです。
本当は、人は社会に戻りたいのです。人と一緒に生きていきたいのです。それが自然の姿です。
辛いときこそ、外へ出てください。我慢しないで、泣ける時は思いっきり泣いてください。
この苦しみは、一生続けたくても、続けられません。
この世の中も、人も、人の心もすべて、変わっていくものですから。


般若心経の意味 その10

: あなたの道をあなたの歩幅で歩む
人生の道を歩かされている途中(なぜ?この道を?)と思うことがときどきあります。
それは、まったく何も進んでいないような地味な一歩一歩を重ねている時期です。
まるで暗いトンネルの中を歩き続けているようで、(いつまで、こんなこと続くの?)と
淋しくなったり、自分だけが取り残された気分に陥ったり・・・。
ところが、十年ぐらいの単位でふり返ってみると、何のための道だったのかが、判ってきます。
命ある限り、道は続きます。年齢は関係ありません。誰もが道を歩んでいけるのです。
一歩そして一歩、あなたの歩幅で、目の前の正しい道を歩んでいって下さい。必ず花は咲きます。


般若心経の意味 その11

: 短所も含めて自分をかわいがる
人は、意味があって、この世に人として生を受けました。その意味は、大きいこと、小さいこと、人それぞれ違うと思いますが、すでに気づいている人は、もっと自分が、この世のために役に立てる方法を考えてみましょう。
まだ気づいていなくても、決して遅くありません。年齢も関係ありません。今から自分を見つめてみてください。気づいていないのは、自分を見つめる時間や機会に恵まれてこなかっただけです。
良い所も悪い所も、あなたです。悪い所を知ることは、ちょっとイヤですが、悪い所が判ってきたら、それを愛おしく思ってあげてください。そこがあなたの個性であり、弱点であり、かわいい所なのです。


般若心経の意味 その12

: 心の檻は待っていても誰も外してくれない
つっぱらないで、かっこつけないで、正直に気持ちを言える。かわいい人になりましょう。心の檻は、努力して自分でなくすものです。自分で一歩、檻の外へ踏み出してください。


般若心経の意味 その13

: 苦しみの犯人を探して心から追い出す
あなたの欲しいものは、今でないと、絶対に得られないでしょうか?何が何でも今、結論を出さないとダメでしょうか?どうしても、ないといけないものでしょうか?
ところが、頭に思い浮かべてみた途端、別のあなたが、これらを否定しようとします。
「見栄」が、あなたを応援しているのでしょうか?それとも「淋しさ」が、あなたをよけいに苦しませようとしているのでしょうか?
あなたが苦しむのを喜んでいる心の中の犯人が判ったら、そいつだけを追い出せばいいのです。
苦しい思いをしていると、歩みが遅くなります。でも人と比べないでください。それが、今のあなたにふさわしい歩み方です。
少しずつ少しずつでいいから頑張っていれば、苦しみの後に、必ず喜びが訪れるものです。自分で乗り越えた人だけが得られる喜びです。


般若心経の意味 その14

: 自分を教えるのは自分しかいない
まずは、自分を見つめて、苦しみの根源を見つけ出しましょう。自分の心の中に「仏様の種」があると気づけたら、それを育てていきたいという優しい気持ちや、感謝の気持ちが生まれます。
自分の中にある空のような、海のような広く深い心に気づけたら、悩みや苦しみから、一歩外へ抜け出せたということです。
般若心経をただ上げただけでは、その苦しみは取れません。般若心経を心から上げることによって何かを感じたとき、気持ちのいい風が、体を吹き抜けていきます。他力本願では変われません。
心で般若心経を上げ、その声を心で聞きましょう。


自分が変わる。自分から変わる。

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